시부사와 에이이치

1 개요[ | ]

渋沢栄一
시부사와 에이이치
  • 1840 ~ 1931
  • 일본 자본주의의 아버지
  • 1863년 다카사키성 공격 쿠데타 포기후 잠적
  • 우연한 기회에 도쿠가와 요시노부 측에서 일하게 됨
  • 파리 엑스포 참가 후 신정부 대장성에 출사
  • 1873년 제일국립은행 설립을 시작으로 가스, 보험, 제지, 시멘트, 철도, 맥주 등 500여개의 회사 설립에 기여.
  • 실제로 이사나 중요 직위에 재직했던 회사는 50여개.

2 저서[ | ]

3 전집의 목차[ | ]

  • 第1巻 新編青淵百話
  • 第2巻 実験論語
  • 第3巻 社会論叢
  • 第4巻 経済講話
  • 第5巻 青淵渋沢栄一子爵年譜,父母の俤,世界名士接見録,逸話篇,訓話篇
    • 靑淵澁澤榮一子爵年譜/3 (9コマ目)
    • 父母の俤/221 (119コマ目)
    • 世界名士接見錄/305 (161コマ目)
    • 逸話篇/447 (232コマ目)
    • 訓話篇/523 (270コマ目)
  • 第6巻 随筆及び随想録

4 청연회고록 목차[ | ]

/초로 표시된 부분은 카도카와 문고본에 발췌된 내용
少年時代の回顧
発憤の動機と江戸遊学
討幕の義挙を企てた頃
一橋家仕官時代
一橋家財政改革の前後
煩悶懊悩時代の回顧
幕末見聞鎖談
外国の異風異俗
仏都巴里を踏んで
留学時代の回顧
欧州各国視察見聞記
帰朝当時の事情と進退
明治政府仕官時代
退官前後の事情
여기까지는 그의 초년시절을 다룬 자전 우야담과 겹치는 부분
三条岩倉両公と勝海舟
維新三傑と江藤副島
第一銀行創立の前後/초
東京銀行集会所の濫觴/초
東京商業会議所の由来/초
実業教育の創始と沿革/초
東京市養育院の沿革/초
株式取引所創立と私の態度/초
我国海運事業の今昔/초
人肥会社と理化学研究所/초
私の危難と水道鉄管事件
今昔の感に堪へぬ瓦斯と電気
洋紙製造事業と私との因縁
我国鉄道と保険業の発祥/초
我国紡績業創設の回顧/초
煉瓦及びセメント事業の変遷/초
北海道開拓と炭礦及び麦酒業
金融逼迫時代と幣制改革問題
還暦を迎へて/초
授爵の恩命に浴す
欧米漫遊の旅路へ
大患に罹った思出
帝国劇場の創立
朝鮮に於ける銀行事業
朝鮮鉄道創設の由来
経済上より見たる歴代内閣
伊藤博文公と政党組織事情
進退を共にした井上馨候
私の見た原・大隈・山県の三氏
松方海東老公の思出
益田孝男と福地桜痴居士
銀行家 佐々木勇之助氏
実業界引退の回顧
第四回目の米国訪問
米国大実業家の印象
印象に残る米国の人々
欧州大戦と国際連盟
帝都を焦尽した大震火災
排日問題と国民外交/초
大正天皇の追悼
田園都市創設の由来
米寿を迎へた喜び/초

解説 人間・渋沢栄一を探るために  井上潤 (渋沢史料館館長)

5 같이 보기[ | ]

6 참고[ | ]

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